森水生士「カタカムナ事件」の真相を語る

カタカムナのウタヒ
森水学園園長室に飾られていた「カタカムナのウタヒ。「森水学園校歌」と書かれているので、森水学園長はこれを学園の校歌にしようとしていたのかもしれない

カタカムナとは?

森水学園カタカムナ事件を語る前に、まずはカタカムナとは何かということをざっと説明しておきます。

カタカムナとは、数万年~10万年以前の日本列島に住んでいた人たちが残した古代科学の書、ということになっていて、一般にはいわゆる古史古伝、「トンデモ」の世界に属するものととらえられています。
これを言いだしたのは楢崎皐月(ならさきさつき  or  こうげつ)という物理学者(1899 - 1974)です。
楢崎がある種の天才であったことは間違いありません。
18歳で日本電子工業の電気専門学校に学び、それに飽き足らず独学で物理、化学も学び、20代になると日本石油と契約を結んで、当時、輸入に頼っていた特殊絶縁油の開発に成功して事業化してしまいます。さらには大日本炭油工業株式會社で亜炭から石油を精製する研究を開始。社長からも一目置かれていました。
当時の楢崎氏は、同僚たちからは「学歴もなく、熱烈な愛国思想を持った変人だが、天才的ひらめきもある」といった目で見られていたようです。
40代に入ったところで太平洋戦争が始まると、陸軍省から請われて満州吉林省に関東軍直轄技術部隊の責任者として赴任。製鉄精錬の研究を行いました。
この時期、陸軍参謀本部作戦部長・石原莞爾とも交流があったようです。
楢崎皐月
1966年、67歳の楢崎皐月 (写真:「楢崎研究所」より)

満州滞在中に、楢崎は二つの大きな体験をします。
まず、満州吉林の老子廟で、蘆有三(らおさん)道士という人物に会い、彼の宇宙観、思想に深い感銘を受けます。蘆有三道士は、中国の文明よりずっと古い文明が日本にあった、というような話をしたそうです。
もう一つは、製鉄所を作っている際、同じ条件(設備・材料)で作っても土地によってできあがる鉄の品質に差があることに気づいたことです。
楢崎はこの差は、その土地を流れている「大地電流」の「電位」の違いではないかと想像を膨らませ、よい鉄や農作物を生む土地を「イヤシロチ」、ダメな土地を「ケカレチ」と名付けます。イヤシロチとは「癒やしの地」、ケカレチとは「汚れた地」という意味でしょう。

終戦後は星製薬社長・星一に資金提供を受け、星製薬内に「重畳波研究所」を設立し、さらに様々な研究を行いました。

満州で思いついた「大地電流の違いによって農作物や製鉄などに影響が出る」という説を証明するため、1949年の12月から翌年3月にかけて、若い助手数名と一緒に、六甲山系の金鳥山(兵庫県)付近にキャンプして「電位」の測定をしていました。
すると、ある晩そこに、ひとりの猟師がふらりとやってきて、こう抗議しました。
「おまえたちが水場に変な機械を設置するから、森の動物たちが怖がって水を飲めなくなっている。すぐに撤去しろ」
楢崎は素直に機械を外しました。
すると翌晩、猟師が再び現れ「おまえらはなかなかいいやつだ」と、すっかりうちとけ、「人間、穴に住まなければ本当のことは分からん」といい、さらには自分は平十字(ヒラトウジ)といい、父は「カタカムナ神社」の宮司をしている。お礼に、代々伝わる秘伝の宝物を見せてやる、と、巻物を見せてくれました。
そこには円と十と小さな丸(点)を組み合わせたような不思議な図形が螺旋状に書かれていて、楢崎は「これは満州で蘆有三道士から聞いた日本の超古代文明と関係があるのではないか?」と直感し、20日かけてその巻物を大学ノートに写し取り、持ち帰りました。
これが超古代文明カタカムナの存在を示す「カタカムナのウタヒ」と呼ばれるものです。

以後、楢崎はその図形の解読に没頭し、ついにはそれが「文字」であることを突きとめ、カタカムナ文明が存在したという珍説を発表するわけです。

森水学園「カタカムナ事件」とは?

楢崎がカタカムナについて語り始めたのは1966年、67歳頃からです。『日本の第1次文明期の特徴』という書を著し、そこで盧有三老師や平十字の話、そこから導き出される日本の上古代文明・カタカムナについて書いています。
カタカムナのウタヒは全80首とされていますが、楢崎が最初に紹介したのは、その中の第5首と第6首です。
この2つは1組になっていて、いろは歌と同様、50音をすべて1回ずつ使って書かれています。
ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ
ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツイネホン カタカムナ


学園創始者・森水生士センセとカタカムナの提唱者・楢崎皐月氏が知己の間柄であったかどうかは定かではありません。楢崎氏は物理学者、森水センセは生物学者ですから、どこかで交友があったのかもしれません。
とにかく、森水センセは、この楢崎の「カタカムナ文献の発表」からおよそ10年後には、園長室にカタカムナのウタヒ、第5首と第6首を書いた額を飾っていました。
そこには「森水学園校歌」とも書かれており、森水センセはこれを歌詞とした校歌を作ろうとしていたのかもしれません。(ちなみに、カタカムナのウタヒを歌詞にした校歌は森水センセ存命中には完成していません)

森水センセがカタカムナにひとかたならぬ興味を抱いていたのは間違いないことで、ある教育関連の機関紙に「素敵なカタカムナ」と題した一文を載せました。
それを読んだ教育評論家・細井正治氏が「森水学園に見るトンデモ愛国主義」なる批判を投稿したのがきっかけで、リベラルを標榜する教育関係者数名が後に続き、森水学園批判をしました。
大きな騒ぎには発展しませんでしたが、森水センセはこれにショックを受け、帯状疱疹も出て寝込んでしまいました。

これが「森水学園カタカムナ事件」と呼ばれるものです。

森水生士、カタカムナ事件の真相を語る

森水センセはカタカムナ事件の1年半後、1978年5月、「春のキノコを採ってくる」と言い残して学園裏手の森に入ったまま戻らぬ人となりました。
遺体が発見されたのはその日、暗くなってからで、後に、死因はマムシに咬まれたことによるショック死であろうと診断されました。

森水センセはカタカムナ事件について、反論めいたことは言わないままに亡くなられましたが、実は、亡くなる数日前に、音楽講師の林田光センセと音楽室で酒を飲み交わしながら、カタカムナのことを語っています。
林田センセはそのときのやりとりをオープンリールテープに録音していました。林田センセは2009年に肝硬変で亡くなられましたが、遺品には膨大な録音テープがありました。その中の1本に記録されていたのが以下の会話です。1977年春あたりのものと思われます。
以下はそれを文字おこししたものです。


森水学園では「先生」という呼称は代議士などが恥ずかしげもなく使っていることから、講師を「センセ」とカタカナで呼ぶのが慣わしになっている。これは作家・松下竜一氏が自分のことを「センセ」と呼んでいたことに倣っている。

カタカムナを楽しむ──森水生士の話

林田:……そもそもカタカムナって、どこまでまともな話だと思ってらっしゃるんですか? 森水センセは。

森水:う~ん、最初は面白くてぐいぐい引き込まれたけど、今はまあ……楢崎皐月が書いたファンタジーなんじゃないかと思ってるよ。

林田:え~? 信じてなかったんですか、センセは。あの、金鳥山で平十字というマタギみたいな人物と遭遇してどうのこうのという話も全部作り話だと……。

森水:作り話というか、まあ「小説」みたいなものなんじゃないかな。……あ、同じか。でも、あのくだりはなかなかいいよね。
鉄砲を持った猟師風の男が現れて、腰には仕留めた兎をぶら下げている。で、「狐は撃つな。兎ならくれてやる」とか言って、腰にぶら下げていた兎を放ってよこしたなんてところは特にね。リアリティを出そうとしたんだろうねえ。楢崎は理系の人間だから、文学的なものを創作することに憧れみたいなものを持っていたんじゃないかなあ。

林田:じゃあ、カタカムナのウタヒも全部楢崎の創作ですか? あの文字も楢崎が発明した……と。

森水:多分ね。よくできているよねえ。カタカムナ文字って、ものごとの移り変わりとか変遷とか森羅万象とか、いろんなものを文字そのものに込めている感じでしょ。
例えば、ヒフミヨイ ムナヤコト は、太陽が東から昇って沈んで、地球の裏側を回って、最後に「十」の文字になる。これが日本の数の数え方、ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここのつ、とお……の音なんだよね。


カタカムナ文字の50音表


林田:しかも、いろは歌みたいに、50音を重なることなく1回ずつ使っている……と。

森水:そうそう。苦労したと思うよ。

林田:あの「ヒフミヨイのうた」って、うたとしての意味はあるんですか?

森水:意味づけすることはできなくはないんじゃないの? 「マワリテメクル」は「回りて巡る」って読めるし……

林田:他の部分は?

森水:僕は何度も挑戦してみたんだよ。なんとか平易な文章として読み解けないか、って。で、例えば……ね……ヒフミヨイ ムナヤコトは数の数え方でもあるから、まあ置いておいて……

マワリテメクル   (回りて巡る)
アウノスへシレ   (合うの術知れ)
カタチサキ     (形先)
ソラニモロケセ   (空にもろ消せ)
ユヱヌオヲ     (結えぬ尾を)
ハエツヰネホン   (生え 終 根本)

……とかね。

林田:それって、どういう意味になります? 

森水:「回りて巡る」は分かるだろ? 物事はすべて循環しているってことだよね。物質循環、大気の循環、海水の循環、生態系の食物連鎖とか、すべてそう。回って元に戻ることで永続性が確保されているわけ。

林田:はあ……

森水:「合うの術知れ」というのは、命令形だね。合うというのは合成、結合、合体、融合……別々のものが合わさって新しいものになること。その技術を知りなさい……と。
人間の心の話だととらえれば、心と心を合わせることを学べ……と。愛の説法ともとれるね。

林田:はあ~、ちょっと分かりづらいけど、まあ、そのへんまではよしとしましょうか。

森水:よしとしてくれるか。じゃあ、次は「形先」な。これは、人間はみな、最初は目に見えるものしか認識しない。生まれて目が開いて、この世界を視覚でまずとらえる。

林田:目が見えない人は?

森水:手で触って形をとらえようとする。「形から入る」なんて言葉もあるだろ?

林田:それはちょっと意味が違うんじゃないですかね。

森水:そっか。まあ、いいや。とにかく、人間は形のあるものを先に認識する。でも、それは表層の世界でしかない、っていうことを言っているんだね。

林田:書いてありますか? そんなこと。

森水:まあ、まあ。で、先にいこうか。「空にもろ消せ」だね。これは「形」がまずあるけれど、それを空に向かって消さなければならん、と言っているわけ。

林田:形を空に?

森水:そう。ここがすごく重要なポイントなんだよ。
形あるものは必ず壊れる。劣化する。朽ちる。後にはゴミが残る。ゴミが残ったままだったら、この世界はゴミだらけになって住めないだろ。

林田:エントロピー増大の法則ですね。

森水:そう。森水学園で教えようとしている最重要テーマだね。形あるものは必ず壊れる。汚れる。壊れた後のゴミを空に向かってモロ消せ、っていっているんだね。

林田:モロ?

森水:これはまあ、もろもろ、とか、もろに、とか、もろとも、の「もろ」だね。allという意味に近いかな。もろもろのゴミを全部空に向かって消せ、と。 物質循環の輪にのせて、ゴミを分解し、最後は熱になり、それを水蒸気にくっつけて地球外に運び、宇宙、つまり空に向かって熱を放出することで増大したエントロピーを捨てるわけだね。これが「空にもろ消せ」の真意だな。

林田:う~~ん。かなり苦しいような……。次はどうなります? 「結えぬ尾を」って……尾って尾っぽの尾ですか?

森水:これは比喩だね。尾というのはウンコの出口、つまり肛門の上にあるだろ。これがうまく結べないと、ウンコがくっついちゃう。

林田:ええ~? それはいくらなんでも無理が……

森水:いや、もう少しきれいに言えば、尾は結末、最後のまとめ、みたいな意味ね。「結えぬ尾」というのは、最後まできれいに始末できないものだね。やっかいなもの、ってことかな。

林田:う~ん、かなり苦しいような……。

森水:うん、まあ……このへんはね、もう、50音もわずかしか残っていない最後のほうだからね。多少の無理はしょうがない。

林田:しょうがないんですか。天才・楢崎皐月もこのへんで苦しんだ……と。

森水:もともと文系じゃないしね、彼は。もしくはね。「ゆえ」は「理由」という意味の「ゆえ」ととらえてみることもできるかな。「ゆえに」の「ゆえ」だね。続く「ぬ」は打ち消しの語だから、理由がない、つまりどうしようもない、分からない、人知を尽くしても解決できない、という意味になる。

林田:そのあとの「おを」は?

森水:この場合、「お」は悪心とか悪寒とかの「お」かな。悪いもの。「どうしようもない、どうにもならない悪いものを」ってことになるね。ああ、こっちのほうがいいかな。

林田:いいかな、って、センセ、ずいぶんぐだぐだじゃないですか。

森水:そらそうだよ。楽しみながらやっているんだから、いいんだよ。その程度で。

林田:じゃあ、「どうにもならない悪いもの」ってなんですか?

森水:そりゃまあ、物理学的に考えれば、エントロピー増大の法則のように、避けられない劣化とか、肉体の死とか……。我々人間に対していえば、歳を取って顔はシワシワになり、オシッコもちびったりして、だんだん醜くなるという宿命。内面に目を向ければ、欲望とか虚栄とか嫉妬とか……誰もが持っている、ごまかしようのない欠点というか、弱さかな。

林田:それをどうしろと?

森水:空にもろ消すわけだね。全部を受け入れて、悟って、空を見上げて大きく息を吐き、水蒸気と熱にして放出する……

林田:え? それって前の「形先」に対しての話じゃなかったんですか?

森水:前にも後ろにもかかるんだね。この「空にもろ消せ」は。形あるものがエントロピー増大の法則に従って最後はゴミになる。そのゴミは生物循環、物質循環、熱循環、大気の循環などにのせて空に運んで消しなさい。また、人としての避けようのない悪、弱さもまた、空に向かって捨て去りなさい……と。
で、重要なのはね、「空にもろ消す」ためには地球上の物質循環が必要でしょ。ものを循環させるためには、食物連鎖があって、バクテリアがゴミを分解して熱に変えたり、風が吹いたり、雨が降ったりしなければいけないわけ。そのためには森と水が健全であることが絶対に必要だ……と。
さらには、物質循環にのせて空にもろ消せないもの、地球環境の中で始末できないような汚物を発生させてはいけない、ということにもなるわな。

林田:う~~ん。まあ、いいでしょう、じゃあ、最後、「ハエツヰネホン」が「生え 終 根本」って、これまったく意味が分かりませんが。

森水:生えは生まれるってこと。誕生だね。「終(つい)」は文字通り終わりだね。だから、始まりと終わり。阿吽だね。物事の始まりから終わりまではこのようになっている。これが世界の根本原理だよ、と結んでいるわけだね。見事じゃないか。



以上が、1977年頃に本校初代園長・森水生士と音楽講師・林田光が音楽室で酒を飲みながら交わしたと思われる会話です。
森水センセは決して右翼思想の持ち主などではなく、カタカムナを題材にして自らの思想に緩さを与え、楽しんでいたのでしょう。
それを非難するなどというのは、ずいぶん偏狭な人たちもいたものだと思います。

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