森水学園第三分校 沿革
消えゆく森から言葉のない祈りが聞こえる
森水学園第三分校 沿革
- 1964年7月:阿武隈山系の某村に住み着いた生物学者・森水生士(もりみず いくお)が、私塾・森水学園を始める。その後、廃校となった小さな分校校舎を借り受けて拠点とする
- 1967年1月:「鬼」の研究で知られる下村勝司が青森県弘前市に森水学園第一分校を開設。第一分校は次第に郷土史や民俗学探究の色彩を強めていき、下村は1979年に森水学園第一分校を出て、「縄文村」を設立。しかし、その後も第一分校は日本各地から集まってきた有志によって細々とではあるが、存続した
- 1968年10月:福島県いわき市北部の廃校に森水学園第二分校誕生。初代校長は村野五瓶(農業)。第二分校は運営が安定せず、休校、再出発を繰り返していたが、1979年に5代目校長・大西熊笹を最後に閉校となる。大西が「右翼活動家」といわれていたことも、閉校の一因となった。大西熊笹については『大日本エコロジスト翼賛会』に詳しい
- 1969年頃:学園本校校舎に、杜用治(もり ようじ)という男性が住み着き、用務員のようなことを始める。用務員・用治さんの残したノートは大変興味深い。⇒こちら
- 1971年8月:栃木県栗山村に第三分校が誕生。初代校長は俳人であり画家でもある鵯田(ひよだ)つぐみ氏
- 1972年:鵯田つぐみ、第一句集『蜜柑の皮』を自費出版するも、評価は得られず
- 1976年秋:森水生士がカタカムナに興味を持っていて、園長室に「カタカムナのウタヒ」を書いた額を飾っていたり、「進化論は人間の驕り。現人類は他の知性体によって改造された生物種である」などと述べたため、一部の教育者たちから「似非学者が始めたトンデモ学校」と非難の声があがる(カタカムナ事件)
- 1977年頃~:「カタカムナ事件」で森水の存在を知った人たちの中に、森水の生き方に共鳴する者が現れ、各地に自主研究会、サークルを作り、それぞれの活動を始める。共通参考書は「エントロピー読本」
- 1978年5月:森水生士、キノコ狩りの最中にマムシに咬まれ、永眠。享年84歳
- 2008年:本校が借りていた廃校舎を村が解体することを決定。県からの補助金がついたため。44年の歴史を築いた本校校舎は消滅するが、その後、休校中だった第二分校にて活動は続いた
- 2011年3月:第二分校が福島第一原発の爆発で避難指示を受け、その後、再開の目途が立たぬまま閉校
- 2017年3月:最後に残った第三分校も校舎が解体されたため、森水学園の理念を伝えるためにWEB上に「校舎のない学園」として再建を始める。現在の管理人は「事務局・いつき」
- 2020年5月:COVID-19対策のために日本全国一斉に学校が一時閉鎖されたため、郷順治センセが特別講義(ゴージュン式英語塾)を開講
- 2022年5月:『用務員・杜用治さんのノート』を書籍化
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