そして私も石になった(11)


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戦争が持つ意味


「ひとつ提案がある」

 しばらく続いた沈黙の後、俺はNに言った。

<はいはい。なんでしょうか?>

「あんたがずっと『彼ら』と言っている連中のことを『神』と呼ぶのはどうにも気分が悪い。俺たちが一般に『神』という言葉で言い表そうとしているものとはあまりにもイメージが違いすぎる。だから、ここからは単に『』と呼ぶことにしないか?」

<God のGかな?>

「なんでもいい。ゴブリンのGでもゴキブリのGでも。あまりイメージを持たせたくないための単なるGだ」

<いいね。ではそうしよう。
 では、Gと人間の関係についての話を再開してもいいかな?>

「ああ。続けてくれ」
 脳の内側にべっとりと疲労の膜がこびりつくような嫌な感覚を覚えながらも、俺はそう答えた。
 Nは話を続けた。

<さてと、ここまで説明すれば、人類史が戦争を繰り返した歴史だった理由も分かるだろう?>

「分からないな。自分たちが生存するための文明社会を築くのがGの最終目的なら、破壊を繰り返す戦争は無駄なように思うけれどね」
 俺はあまり深く考えることもなくそう答えた。

<無駄……そうかな? 戦争がまったくない世界だったら、人間は今も原始時代とあまり変わらない暮らしをしていたと思わないかい?
 農耕や狩猟などで適度な衣食住を得て穏やかに暮らす人間社会。他の動物と同じように、環境に適合できなければ死んでいき、適当な数が生き延びる。
 もちろん、緩やかな進歩はあっただろうね。頭のいい者が農耕の技術を考えついて他の者たちに教え、それが広まって……といった変化は。
 でも、農耕の技術を手に入れると、必要以上に土地本来の力を収奪してしまい、再生産ができなくなる。古代文明の発祥地はみな砂漠になっているだろう? 土地から収奪しすぎて、土地が痩せ、塩化したからだよ。
 神は……おっと失礼。Gは、そうした失敗も、当初は辛抱強く見守っていた。痺れを切らして介入することもあったけれどね。
 それでも人間は何度でも同じ失敗を重ねる。そこでGは、人間同士戦争をさせることで技術革新の速度を上げることにした。
 戦争を繰り返すたびに、技術革新が進んでいった。産業革命後の第一次大戦、第二次大戦での科学技術の進歩と工業生産力の増大は今さら言うまでもないだろう?>

「それはそうだな」

<それと、戦争は技術革新だけでなく、経済力の増大や一部の人間への富と権力の集中、人口調整という働きもする。
 これも説明は不要だね?>

「富と権力を一部の人間に集中させると、Gにとってどういういいことがあるんだ?」

<簡単さ。技術革新や社会の変革が効率的かつ急速に行えるという利点だね。
 頭のいい人間が現れ、テレビというものを実現する原理を考え出したとしても、それを実際に作るには金がかかる。大量に作って社会に普及させるには、さらに金と労働力が必要だ。富と権力が集中していなければ、そうした過程が効率的に進まない。
 誰もがテレビを所有し、楽しめる社会が到来しても、ほとんどの人間はテレビを作る技術を知らないし、たとえ知っても、それを製造する工場を作る金を持っていない。だけど、誰かが作った工場で働くことはできて、そこで得た賃金でテレビを買い、テレビのある生活に浸る。
 テレビのある社会では、テレビがなかった社会よりもはるかに効率的かつ強力に人間を動かせる。人間を容易に動かせるようになれば、Gが望む計画を効率よく進められる。
 人間の社会を急激に変化させる方法はいろいろあるが、戦争や虐殺という手段も使われてきた。
 戦争や虐殺を起こさせるにはどうすればいいか。これは関東大震災のときの虐殺事件を例にとってすでに説明した通り「準備」と「スイッチの点火」だ。
 自分たちとは違うグループの人間に対する恐怖、不満、不安、鬱憤、差別意識、あるいは権力への服従や同調圧力を蓄積させる。これが「準備」だね。
 準備が整ったところでスイッチを入れる。準備にもスイッチ点火にも、教育とメディアが重要な役割を果たす。
 多くの人間は、戦争を特別なものだと考えがちだ。戦争は悪だ、非人間的だ、人道に反している、人類に愛を説く神に対する大罪だ……と。
 しかし、Gにとっては計画を遂行するための手段のひとつにすぎないし、そもそも戦争ほど「人間的」なものはない>

「だけど、戦争によって進みすぎた科学技術の弊害もあるんじゃないのか? 第二次大戦ではついに核兵器が使われたけれど、あれは一歩間違えば地球ごと破滅させられるようなものだ。そんなものを人間に持たせるなんて、Gにとっても危険なんじゃないのか?」

<ああ、それは第二次大戦後、世界中で声高に叫ばれてきたことだね。核兵器によってこの世が終わってしまうんじゃないかと。実際、Gは過去に同じ失敗をしているからね>

「同じ失敗?」

<そう。「洪水」の寓話に込められた失敗の中には、アダム型生物やネフィリムを使って技術革新を急がせすぎた結果、核爆発でそれまでに作った文明社会の卵が吹っ飛んだという痛い失敗も含まれている。
 古代の核爆発は、地球規模のものではなく、文明を築くための実験都市をひとつ失うという程度の規模だったからまだやり直しができた。
 しかし、今は人間が世界中にまんべんなく文明社会を作っているから、それを全部巻き込むような規模で核兵器を使った第三次世界大戦が起きてしまったら取り返しがつかない。それではGも困る。
 だから、第二次大戦の最後にヒロシマ・ナガサキを押し込んだ。こういう規模の破壊が起きるんだぞと人間に教えるためにね>

「ひどい話だな」

<その後、核兵器によって世界は滅んでしまうかもしれないという一大キャンペーンを広めたのもGの計算のうちだ。
 核開発というのは、Gにとっては兵器を作らせることが目的ではない。でも、原子物理学の知識や技術を進めることは必要なことだった>

「核をエネルギー源として使うためにか?」

<原子力発電のことを言っているのか? あんなものはただの蒸気機関の一種だよ。お湯を沸かしてその蒸気で発電機を回しているだけのものだ。科学技術としてはものすごく原始的だ。
 そんなくだらないことではない。人間に原子の世界を見せること、原子や電子といった極小の世界を教えることで、人間が物質を操作する力を飛躍的に向上させることが目的だった。
 核開発は、高度な電子工学、生命科学といったものにつなげるためには通らなければならない「橋」だったんだ。
 だから、その橋を渡った後には、あまり価値はない。
 核だけでなく、戦争を技術革新の手段にするという方法は、ある段階から徐々に不要になる。もっとずっといい方法があるからだ>

「戦争よりもずっといい方法?」

<そう。戦争よりずっと効率的な方法だ>

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ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に電子版が出版されたものを、紙の本として再編。
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