人生の相対性理論(21)


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数ではない答え

「ひとりに向かって」頑張っても、その結果が何らかの実を結ぶのか、たったひとりであっても評価してもらえるのか分からないまま死ぬのでは、「人生、死んだ後が勝負」とあまり変わらないことになるかもしれません。
 ただ、思いがけないところでちゃんと見てくれている人、評価してくれる人はいるものです。
 音楽に関しては2つほど強烈な体験をしました。
 ひとつは30年ほど前のことでしょうか。ある日突然、知らない年輩の女性から電話がかかってきました。
「不躾なことを伺いますが、△△をご存じでしょうか?」 と訊かれました。
 覚えのない名前だったので、知らないと答えますと、「そうですか。失礼しました……」と電話を切ろうとするので、事情を伺ったところ、△△は彼女の息子さんだというのです。
 数日前に亡くなって、遺品整理のためにひとり暮らしをしていた部屋を初めて訪ねると、部屋の中はほとんどものが置いてなくてきれいに片付いていたのに、机の上に1本のカセットテープが、どうしても捨てられないかのように残されていて、そこには「たくきよしみつ作品集」と書かれ、私の住所と電話番号の入ったハンコが押されていたというのです。
 息子が最後まで大切そうにしていたこのカセットテープにある人物と息子とはどんな関係があったのだろうと気になり、電話をしてしまった……と。
 電話を切った後、その名前を念のためにパソコンの中の住所録で検索してみると、しっかりあるではありませんか。しかし、どこでどういう形で会った人なのか、どうしても思い出せません。おそらく大学の中で会って、私が自作曲の入ったデモテープを後で送ると約束し、その人の住所を記録しておいたのではないかという気がします。
 私が人よりも記憶力が劣るということはすでに書きましたが、こういうときは本当に困ってしまいます。
 その人にとって私の音楽はどんな意味を持っていたのだろうと思いをはせました。

 もう一つ、これは最近のことですが、フェイスブック経由で知らない外国人男性からメッセージが届きました。英語で書かれていましたが、こんな内容です。
たくきさま
いつかあなたに手紙を書きたいと思ってました。あなたの音楽がどれだけ私の人生にとって重要かを伝えたいと。
『グレイの鍵盤』はもう10年以上も私の友です。もし無人島に5枚だけアルバムを持っていっていいとなったら、『グレイの鍵盤』は間違いなくその中の1枚です。
あなたのアルバムなしの私の人生は想像できません。何年も前に、タヌパックのWEBサイトからCDを注文しました。そのとき一緒に入っていたサイン入りカードは私の宝物です。
私の人生、そして世界を豊かにしてくれて、ありがとう。

 これにも相当驚きました。
 海外からクレジット送金でCDを買ってくれた人は他にいないので、10年以上前のことであっても、そういう人がいたことは覚えていましたが、サインをしてカードを送ったというのはまったく覚えていませんでした。
 添付されていた写真を見ると、狛犬の画像を印刷したものでした。たまたま手元にあったのを送ったのでしょう。
 これこそまさに「ひとりに向かって」が実らせた果実だと、感激しました。
「ひとりに向かって」も「人生、死んだ後が勝負」も、孤独な生き方ではあります。でも、自分に真面目に向き合い続けることで、ときに巡ってくるこうした果実の味もまた格別なものになります。
 数と相対させた評価だけを求める生き方よりも、最後に感じられる幸福感は大きいかもしれません。

 幸福の質は必ずしも評価の数には相対しないのです。



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