陽明門の脇役動物?
脇役的(?)動物たちもしっかり見てくださいね。
他にもこんなのが……
鬼瓦
陽明門の狛犬
陽明門の木製狛犬は、有名な大宝神社の木製狛犬(推定鎌倉時代・国の重要文化財)のコピーで、吽像に角がないのが特徴です。このスタイルは「岡崎古代型」と呼ばれる量産型狛犬の原型にもなりました。
なぜかこの狛犬は大正5(1916)年に「追加」されています。つまり、家光が大造営をした本来の東照宮には存在していなかったものです。
従って、陽明門は国宝に指定されていますが、この木造の獅子一対は国宝ではありません。
この獅子像がなぜ大正年間にわざわざ追加されたのかはよく分かりません。
明治新政府になってから荒廃が進む一方だった日光の社寺をなんとか守ろうと地元有志や旧幕臣らで明治12(1879)年に「保晃会」という組織が作られましたが、その保晃会が解散したのが大正5(1916)年で、なぜかこの大宝神社獅子像のコピーが陽明門に追加された時期と同じです。何か関係があるのでしょうか。
獅子像を追加で奉納したのは大正3(1914)年に設立された日光社寺共同事務所だという話もあります。社寺共同事務所の設立と保晃会の解散の時期に追加された大宝神社型の獅子像……。その背景をいろいろ想像してしまいます。
いずれにせよ、オリジナルの大宝神社の狛犬は実物を見る機会はあまりありませんので、むしろこちらのほうが見た人は圧倒的に多いでしょう。
2013年の修復前の写真と2017年の修復後の写真を並べてみましょう。
2013年修復前↑↓
2017年修復後↑↓
モデルとなったと思われる大宝神社の狛犬もいろいろと謎が多い狛犬です。
鎌倉時代の作と推定されていますが、実際には室町時代くらいではないかという意見もあります。
狛犬から角が消え、胸に小さな鈴を付けた精悍なデザインのこのスタイルが、いつ頃誰によって作られたのか……。
しかし、後の岡崎古代型のモデルにもなり、護国神社を中心に現代でも日本全国にこの胸張りスタイルの狛犬が多数奉納され続けていますから、狛犬史上、大変な影響力を持った狛犬であることは間違いありません。
しかし、国宝指定されている陽明門に、大正に入ってから本来そこになかったものが「付け足されている」というのは、どうなんでしょうね。