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34. ゴージュン式英語塾 修了式

まずは校歌斉唱♪

 では、ゴージュン式英語塾を担当された郷順治センセより、修了式挨拶です。

郷センセ郷センセ:  今日も生徒は凡太か。
最後までよく頑張ったな。俺は嬉しいよ。
凡太 いえ、まだまだよく分かってません。

そりゃそうだろ。特に後半は速度超過ぎみで飛ばしてきたからなあ。
この「ゴージュン式英語塾」は「読み物」だと思ってくれ。「塾」とはいっても、教室ではなく「読み物」だから、何度でも読み返してほしい。読み返していくうちに、少しずつ穴が埋まっていって、気がつけばミスをしない自分がいる……という感じかな。

少し言い訳じみるけど、俺はここで「英語」を教えてきたつもりはない。「英語の学び方」を教えたつもりだ。
俺はこの歳になっても英語は苦手だ。だけど、英語の読み書きが少しはできるおかげで、今までの人生でピンチを何度か切り抜けてきた。
英語がまったく分からない人生だったら、それこそ路頭に迷い、自分だけじゃなく家族も巻き込んで不幸にして、すごく惨めなことになっていたと思う。

何度も言ってきたように、英語は目的じゃない。ただの手段、道具だ。
今の世の中、英語が読み書きできないとお話にならない。同じアジアの中でも、中国、台湾、韓国、フィリピン、ベトナム……しっかり仕事をしているアジアの人たちはみんな、「英語はできてあたりまえ」だと思ってる。そういう人たちと英語でやりとりができなければ、商売もできない。
コロナのおかげで、日本でも急に、テレワークだのソーシャルディスタンスだのって騒ぎ出したけど、これからはますます直接顔を合わせて話をするよりも、メールでのやりとりが増える。英文でメールがやりとりできなければ、仕事の場はいつまでも限定されたままで、じり貧だ。
さらには、英語ができないと正確な情報も摑めない。日本のメディアが発信する情報だけ信じて、言われたとおりに生きるという、不自由で弱い生き方しかできない。
そうならないために、英語は必須の道具なんだ。

だけど、日本語の社会で育ってきた俺たちにとって、英語を何不自由なく使えるようになるなんてことは、至難の業だ。特に聞く、話す力をつけることは難しい。
よく「英語が喋れるようになりたい」とか「文法の話とかはいいから、そこそこ英語が話せるようになれば外国の人とお話ができて楽しそう」とかいって英会話教室に通うような人がいるけど、何勘違いしてんの? と思うんだよ(こんなこと言うと、それこそ「炎上」しそうだけどな)
ほんとにそういうのを望んでるなら、英会話教室なんかじゃなくて、英語圏に飛び込んで、毎日英語しか聞こえてこないような生活を始めるくらいの覚悟が必要なんだ。日本では、そういうことができる人はごく限られている。
そういう選択ができない、その他大多数の日本人はどうすればいいのか?
地味に文法を学ぶしかないじゃない。ルールが分からなければどうしようもないでしょ。ルールを知らないまま将棋や麻雀やるやつはいないでしょ。同じことだよ。

ところが、今の学校教育では、英語のルールを真面目に教えようとしていない。だから、いつまで経っても英語が分からないのは無理もないのよ。
学校で英語を教えている教師なんかにきいても、多くの生徒は中学3年くらいで英語が嫌いになって、なんとか高校には入ったものの、そこから先は全然ダメなまま諦めてしまうんだ。
中3から高1っていうと、ちょうどグレ始める時期だしなあ。その時期に、英語の基礎が分かってないまま長文読解だの英作文だの、重箱の隅をつつくような文法問題なんかやらされたら、それは嫌になるだろうよ。
だから、中1、中2あたりがすごく重要な時期なんだ。そこで頑張って「英語の基本ルール」「英語的発想」を身につけられるか、それを面白いと思えるかどうかが別れ道なんだ。
その別れ道で、ズルズルと迷路に迷い込むと、後から気づいても、入り口まで戻ってやり直すのは難しい。最後まで自分が入り込んだのが迷い道だと気づかないかもしれない。そういうコースを辿ると、結局、一生英語ができないまま、人生の可能性をすごく狭めてしまう。

凡太は素直ないいやつだから(今のところはな)、惨めな人生を歩んでほしくないと思った。
たまたまコロナのせいで学校が閉鎖になり、英語の授業も受けられない日が続いていたから、ほんじゃあ……と腰を上げてみたわけだ。

ところがやり始めたら、大変だったねえ。あ~、こんなの俺もやってきたのか……って、改めて思わされたよ。

ここまで30回以上の特講を重ねてきたけど、中学英語の内容でも、抜けてしまったことがいろいろある。
逆に、高校で教えることも、一緒にやったほうが楽だと思うものはどんどん入れていった。
未来進行形とか未来の受動態とかはなんにも難しいことはない。動詞、助動詞の使い方、否定文・疑問文の作り方という基本ルールを頭に叩き込んでおけば、「なるほど、当然そうなるよね」って理解できる。
あとは、「英語的な発想」「英語的な表現」に興味をもってほしい、という意図をあちこちに散りばめてやってきたつもりだ。
そういうのを楽しめず、ただただ数式を解くみたいな勉強法や単語・連語の暗記地獄が続くと、いわゆる「受験英語」の空気が濃くなってきて、窒息しそうになるからねえ。

これから先、高校に行くと、仮定法とか、分詞構文とか、いろいろ出てくるけれど、どれも、「ゴージュン式」でやってきたことが身についていれば難しくない。これはホントだよ。
過去完了時制なんてのを最後にサラッとやったのもその布石だ。「完了時制は、話の基準になっている時点から『さらに前の時制』を表す」というのがポイントだね。今は「なんだそれ?」かもしれないけれど、仮定法なんてのが出てきたときに、その意味がよく分かるはずだ。

……まあ、そんなわけで、ここから先はもう、一人でやっていける。そのための体力とセンスを身につけてもらうのが「ゴージュン式」の目的だからね。
(つまづ)いたら、何度でも前に戻って読み返してくれ。なにせ「読み物」なんだから。

じゃあ、後は自分で頑張れや。
Good luck!

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