そして私も石になった(19)


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「複層的世界観」を呼び覚ませ


 量子論のことを思い出したことで少し冷静さを取り戻した俺は、Nにこうリクエストした。
「複層的な世界観とか、単相の物質世界とか……あんたの言いたいことはなんとなくは分かる。いや、分かる気がするが、もう少し分かりやすく説明してくれないか」

 俺が拒絶の壁を取り外したと感じたのか、Nも心持ちゆったりした調子で話を続けた。

今の人間社会は唯物論的世界観に支配されている
 きみたち人間は、この世界は物質のみで構成されていると考え、科学の価値を最上位に持ってきた。思索や感情さえも、心理学やら精神医学といった「科学」で説明しようとする。……違うかな?>

「確かにそういう傾向は強くなってきただろうな」

<物質のみで構成される「物質世界」、科学ですべてが説明できる「物理世界」──そういう世界がすべてなら、自分という存在が肉体の消滅と同時にこの世界から消えることは仕方がない。それ以上でも以下でもない。
 自分の存在だけではない。誰にとってもそうなのだから、個人の集合体である「人間社会」が消えることも仕方がない。社会も所詮は「物質」なのだから。
 実際、短い人類史においても、絶滅に追い込まれた民族や国家はたくさんあった。
 南北アメリカ大陸やオーストラリアの先住民社会は、ヨーロッパからやってきた白人たちによって完全に破壊された。日本でも北東北から北海道にかけて暮らしていた先住民は大量殺戮され、社会が消滅した。人種としてわずかに生き残った者はいるが、それまでに形成されていた社会は消えて……いや、消されてしまった。
 社会も形と質量のある「物」にすぎないとすれば、物理社会の必然として、いつかは消滅する。
 それ以前に、本来その社会が持っていたであろう寿命よりもずっと短く、人間の意志によって簡単に消されることもある。
 世界人口の削減というのは、それと同じことが、複数の民族、複数の国家を含めた「人間社会」という世界規模で起きるということであって、なんら不自然なことではない。
 唯物論的世界観では、そういう結論に行き着くはずだ。
 ましてや、人間一人一人の寿命はたかだか数十年だ。きみたちができることは、その数十年の中に限られている>

「ひとりの人間が生きている間に成し遂げたことが、その人の死後も、後に続く世代の社会形成に影響を与えたり、価値のあるものを残したりすることはあると思うけどね」

<自分が死んだ後の世代に何かを残したい、なんて考えても、それは自己欺瞞というものだ。
 テレビを発明した人間のおかげで、その後の人間社会ではテレビが使えるようになった。でも、テレビを発明した人間はその社会を知ることはできない。テレビをあたりまえのように楽しんでいる人間たちにとっても、テレビを発明した人間の人生なんて関係がない。
 唯物論的世界観では、そうなるんじゃないのか?>

「それはちょっと論理の飛躍があるような気もするけれど……」

<じゃあ、もっとズバリと言おうか。
 唯物論的世界観や物質主義というのは、Gの世界観であり、思考特性なんだ。
 人間はGが遺伝子操作をしてつくりだした生物種だが、もともとは地球型生物だ。今でも地球型生物としての感覚というか本能を完全には失ってはいない。
 地球型生物の本能には、唯物論からはみ出した感覚が含まれている。犬も熊も鯨も、草木でさえもね>

「え? 急にスピリチュアリズムみたいなことを言い出すんだな。原始宗教か?」

<宗教というものについては、今はまだ触れないでおこう。視点が混乱するからね。
 ここではもっと生物学的な……いや、「感覚的な」話として聞いてほしい。
 第六感とか虫の知らせとか、そんな類の話かな、くらいにとらえてもらってもいい。
 Gにはそうした感性はない。しかし人間にはそういう感性がもともと備わっている。
 Gが人間をつくった際、人間にある種の芸術的感性が芽生えたことは計算外だったという話はすでにしたよね。
 Gにとって「物を正確に描写したり、設計図通りに造形する技術」は科学技術を発展させる上で極めて重要な能力だけれど、アブストラクトアートみたいなものを楽しむ能力は必要なかった。だから、もともとは持っていたのかもしれないけれど、次第に失っていったんだろう、というような話。
 ついでにいえば、Gには「笑う」という行為もほとんどない。理にかなっていないことを見て苦笑する、馬鹿にするといった感情はあるが、意味もなく大笑いしたりすることはない。
 いわゆる「箸が転んでも笑う」なんてことは理解できない。人間はそれを自然なこととして受け入れるが、Gは理由を探ろうとする。成長期の子供がホルモンバランスが崩れて感情表現の神経が狂う一種の病理現象、とか、そんな風にね。
 私がここで言いたいのは、今こそきみたち人間には、この「本来の地球型生物としての本能」を呼び覚ましてほしい、ということなんだ。
 そうすれば、唯物論を超えた「複層的な世界観」も次第にはぐくめるようになるかもしれないから>


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ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
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