用務員・杜用治さんと野良猫・のぼるの会話(3)


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霊肉二元論は正しいのか?


俺俺:  脳を含めて、肉体がすべてではない、というのは、いわゆる「霊肉二元論」かい? 昔からよく言われているけれど、そういうことか?
あんたらがよく描くイメージは、肉体には魂だの霊だのという形のないものが宿っていて、死ぬとそれが肉体という「物質」から抜け出して、あの世だかなんだか、別の世界に行く……というようなものだろう? そういうのとは、ちょっと違うんじゃないかね。

俺 どう違うんだ?
あたしもすべてを見通しているわけじゃないから、うまくは説明できないんだけどね。
あたしやあんたが肉体に閉じ込められているときに認識している「この世」は、言い換えれば「物質世界」だろ。あらゆるものが物理の法則に支配されている。思考とか精神とか好き嫌いとか、物理法則で説明できないものはすべて、脳が作りだしている「現象」だと説明してしまう。
寝ているときに見る夢もそう。夢は脳の中で生み出されている非現実イメージだと説明される。

俺 まあ、それはそうだ。違うのか?
違うんだな、それが。
夢というのは、物質世界と、あたしらの実体がいる世界の中間にある「緩衝地帯」みたいなものなんだ。
実体がいる世界──というのは説明が難しいんだが、名前をつけておいたほうが楽だから、「真相」と「深層」を合わせて「真層世界」とでも呼ぼうか。
真層世界から見れば、この物質世界のほうが夢の世界なんだよ。あたしやあんたが真層世界にいるときは、この世──つまり、この物質世界は存在していないようなものなんだな。

俺 この世が存在していない? してるじゃないか。
 それは、意識が物質世界の側にあるときにはそうさ。逆に考えればいい。意識が肉体という物質に閉じ込められて、物質世界にいるときに真層世界が見えないように、意識が真層世界にあるときは、この世──つまり、この物質世界を意識することはないんだ。

俺 別々の世界を意識が行き来しているということか?
 そういうことだけど、一つ大きな違いがある。物質世界に閉じ込められているときには真層世界の存在は見えないし、理解もできない。でも、真層世界からは、物質世界のことは分かる。いちいち意識したり感じたりしないだけで、物質世界という世界があるということは分かっている。なぜなら、真層世界は物質世界と並列の世界ではなくて、物質世界を呑み込んでいる、はるかに大きな世界だからね。

俺 分からんなあ。イメージがわかない。
 例えば、あたしらが地面の上を這っている蟻の世界を見下ろしているとする。蟻の世界はほとんど二次元みたいなもので、頭の上に無限の空間が広がっていることは知覚できないし、想像する能力もない。でも、蟻の世界は確実にこの物質世界の中にある。つまり、蟻の世界はあたしらが知っている「この世」の中に存在している、小さな、制限された世界なんだな。
 一方で、蟻を見下ろしているあたしらの意識が、寝ている間だけ蟻の肉体に入り込んでいるとする。その間、真層世界にいるあたしらは寝ているから意識がないけれど、蟻として、真層世界に包み込まれた蟻の世界という制限された世界に生きているわけだ。蟻の肉体を通して動くし、蟻なりに物質世界を感じ取っている。その感覚を、真層世界にいて「寝ている」あたしらは感じ取れない。蟻の世界から真層世界に戻ってきたとき、あたしらはもう蟻の世界のことは忘れている。
 ……そんなイメージかな。ほんとはちょっと違うんだけどね。あんたが分かりやすく説明しろと要求しているようだから、あえてこういう説明をしてみたのさ。


のぼるは夢の中では実に偉そうにしている。
ったく、覚えてろよ。
その真層世界とやらで会ったときは、そこまで偉そうにしていられないはずだからな。

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