用務員・杜用治さんと野良猫・のぼるの会話(4)


←前へ   目次目次   HomeHome   次へ⇒

「因果応報」で生まれ変わる?


俺俺:  ひとつ分からないのは、真層世界とやらにいるときの俺たちはみんな対等なのか? 偉い偉くないとか、順列とか、そういうのはないのか?
基本的にはないんじゃないかね。あたしも、さらに上の世界のことは分からないから、はっきりは言えないけど。

俺 じゃあ、この物質世界に来るときに、蟻になるのか人間になるのかはどうやって決まるんだ?
どうなのかねえ。たまたまなんじゃないの?

俺  たまたま、かよ。ミミズになるのか人間になるのかも、たまたま、かよ。
たまたま、じゃダメなのかね?

俺  たまたま、じゃあ、たまらんだろ。
この世でいい行いをしたら次も人間で、罪を犯したらランクが下がる、みたいなことではないのか?
あ、また出たね。罪がどうのこうのという考え方。そういうの、因果応報とかいうんだっけ? いいことをすると天国へ、悪いことをすると地獄へ行きますよ~、みたいなやつ。

俺  そう考えたくなるだろう。そうじゃないと、この世での人生に張り合いがないというか、不幸な人生を送った者はいつまでも報われないじゃないか。
それは、この世を「夢の世界」だととらえていないからさ。苦しい夢も楽しい夢も、所詮は夢なんだよ。目が醒めたときには何も残らない。だったら、別にミミズでも蟻でも人間でもいいじゃないの。

俺  よくはないだろ。蟻の一生はつまらなそうだぜ。
つまるとかつまらないとか、そういう価値観、感じ方は、あんたが人間という肉体に縛られているから生じているだけだよ。真層世界の側から見れば、所詮、寝ているだけなんだし、起きたら関係ないんだから、なんでもいい。
むしろ、ミミズや蟻のほうが楽でいいかもしれない。
ミミズや蟻は、あたしらのように痛みを感じたりすることもないし、悩んだりもしない。限りなく無に近い澄み切った一生だから、寝ている間になるのなら、面倒くさい人間なんかよりずっといい。
因果応報とか輪廻転生とか、そういうのは脳が考え出した思考パターンの一つにすぎない。ある意味、肉体から解脱し切れていない証拠さ。


のぼるは一度禅寺に行って座禅でも組んでくるといい。ったく、罰当たりなやつだ。

←前へ   目次目次   HomeHome   次へ⇒
Facebook   Twitter   LINE

タヌパックブックス
狛犬、彫刻屋台、未発表小説、ドキュメント……他では決して手に入らない本は⇒こちらで


タヌパックのCDはこちら たくき よしみつの小説