人生の相対性理論


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編集子・いつき事務局・いつき:  森水学園第三分校は1971年8月に栃木県の栗山村に作られました。栗山村は現在日光市の一部ですが、2016年に、同じ日光市で様々な創作活動をしている たくき よしみつセンセをお招きして、ミニ講演会を数回にわたって開催しました。
講演のタイトルは「人生の相対性理論」となっていました。なんだかピンとこない……いえ、抽象的なタイトルですが、どんなお話だったんでしょう。
ここに、そのときの講演録をまとめてみました。一部は2021年時点の社会情勢に合わせて、たくきセンセが校正しています。

■  序: 人生の「相対性理論」とは?

 こんにちは。ご紹介にあずかりました、たくきです。
 今から「人生の相対性理論」というタイトルで、私が勝手に考えた話をさせていただきます。なんかエラそうだし、そのくせ退屈な内容かもしれませんが、おつきあい願えれば幸いです。

 さて、「相対性」という言葉を聞いたとき、多くの人はアインシュタインの「相対性理論」を思い浮かべると思います。
 相対性理論を理解しているかどうかは関係なく、それだけ「相対性理論」というものが有名になってしまっていて、言葉だけが一人歩きしているのでしょう。
 しかし、これから展開していく話は、アインシュタインの相対性理論とは基本的にはなんの関係もありません。物理の法則の話ではありませんから、数式も一切出てきません。一種の「処世術」だと思ってください。

 私は還暦を過ぎ、毎日、残りの人生をどう過ごせばいちばん意味のある生き方ができるのかということを考えています。
 肉体は衰える一方で、脳の活動も鈍るばかり。経験は豊富に積んできて、たいていのことには驚かないし、さまざまな問題に対して的確な判断ができると自負してはいますが、若いときにできていたことができなくなるのは寂しいですし、過去における取り返しのつかない失敗を悔いて苦しむこともあります。
 そうした苦しさからできるだけ自由になって、幸せを感じる時間を少しでもたくさん持ち、苦しまずに死にたい、というのが、最大の願いです。
 かといって、既存の宗教や哲学はどれも完全な答えを与えてくれませんし、世の中はどんどん閉塞感を増し、理不尽さばかりが目につきます。
 人間の知の限界を知り、世の中(人間社会、今の時代の空気)に魅力を感じられなくなると、そこで生きるしかない自分自身の存在も空疎なものに感じます。
 そんな中で、自分の生き方(あるいは死に方)を考え直すヒントとして頭に浮かんだのが「相対性」ということでした。
 ここでいう「相対性」とは、「他と関連させてみて、初めてそのものの存在が考えられること」(三省堂新明解国語辞典より)他がなければ(単独では)意味をなさない」ということです。
 人生の相対性理論では、相対するものの一方は「自己」であり、もう一方は自己を取り巻く「環境」あるいは「時間軸」です。
 例えば、自分ではとても満足のいくことを成し遂げたとします。できないと思っていたことができたとか、今まで気づかなかったことに気づいて精神的な満足感を得られたとか、なんでもいいです。自分の中では百点満点、あるいはそれ以上の結果が得られた、と。
 ところが、その結果に対して、世間はとても冷淡であり、評価してくれない、気づいてもくれないということはよくあります。そんなとき、多くの人は、満足感・幸福感から一転して、不満・不幸を感じてしまいます。
 これは個人の価値観が自分の中で完結しておらず、世間(人間社会)との「相対性」において左右されていることを意味します。
「自己満足」という言葉はたいてい悪い意味で使われますが、これも要するに、個人が感じている幸福感は世間一般の評価に照らしてみれば、「相対的に」レベルが低いものだ、と言っているわけです。
 自分の価値観が低レベルなのではなく、世間一般、今の世の中、時代風潮のほうが低レベルなのだと感じる人たちもたくさんいるでしょう。
 自分個人の人間性や能力は努力で高められても、時代風潮を変えたり世の中の文化レベルを向上させることはできません。自分の幸福が世の中との相対性で決められてしまうとなると、絶望が深まるばかりで、身動きが取れなくなります。
 世間(社会)との相対性を断ちきれば、自分だけの精神世界、自分だけの絶対的価値観で結果を評価するだけでいいので、幸福でいられるかもしれませんが、ほとんどの人間は、世間と完全に隔絶した仙人のような生き方はできません。
 また、自分がたまたま生まれた時代、自分が置かれた社会、家族・家庭の違いによって、同じ才能や肉体であってもまったく違う人生を送ることになります。こうした「環境との相対性」は不可避で、運悪く戦争や大災害に巻き込まれる人生を送らねばならない人もたくさんいます。そうした「時代や時間軸との相対性」にはまったく抗えないのでしょうか。

 相対の反対は「絶対」ですが、人生、生き甲斐、価値観といったものが相対的だとしても、死は絶対的なものだと誰もが思っています。
 しかし、死が絶対的だというのは、自分の人生という時間に限定したときのことであって、自分が生きている時間の前後、気の遠くなるほどの時間軸を考えた場合、自分が生きた時間は、それを挟んでいる、より長い時間に相対して評価されるものかもしれません。
 つまり、長生きしたとか、充実した人生だった、という評価もまた相対的なものです。
 このように、自分が今いる環境、時間の中で、他と関連させることで初めて生きる意味や価値が生ずる ──そういう縛りの中でしか生きられない生物──それが人間です。
 であれば、死ぬ前にこの「相対性」の壁についてより深く理解し、今の自分の生き方を考え直してみることで、苦しみが和らぎ、残りの人生を楽に、そして魅力を感じながら生きられるかもしれません。

 ……そんな大胆で無謀な考察をこれから試みてみます。しばしおつきあい願えれば幸いです。



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